Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “桜樹幻想”
 



          




 当地からは遥かに遠くにおわす、大地と並ぶもう一方の母神。大陸まで続く広い広い大海原にて、波に刻まれし永遠の囁き。そんな潮騒の響きによく似た、それは勢いのある“ざあぁぁっ”という音がして。萌え始めの幼い梢を激しく叩く、驟雨でも来ているのかと、まずは思った。だが、それにしては、軒やら若葉にあたって返る、雨脚の声がまるきり聞こえない。
“………?”
 覚えはあるが何だったっけと思うのと同時進行で、意識が浮かび上がり、瞼が上がり、それから。冴えて来た感覚にて辺りの温みや明るさを測るのと、周囲へ立て回された几帳の隙間、随分と早々と御簾を上げられた間口の白い四角が目に入ったのがほぼ同時。まだ日の出には早いのか、さして明るくはないみたいだが、黎明の時は過ぎつつある仄白さが既に訪れていて。広間の中の暗さを黒い紙と見立て、その中央を切り絵のように刳り貫いているその四角の枠の中に、見慣れた肢体の輪郭がやけに頼りなく佇んでいる。
“…ああ、道理で。”
 懐ろが妙に寒かった訳だと納得しつつ、葉柱はやや大儀そうにそちらへと首を伸ばした。柱の一つに寄り掛かり、片膝立てて敷居に座り込んでいる彼の痩躯もまた、外の明るさとの拮抗を見せての、切り残された黒い影絵になっており。珍しく早く起きたみたいだな。そのまま二度寝が適わずに、退屈になってあそこまで這い出して。することもなく、ぼんやり外を眺めている彼なのだろうが。さして厚くもない袷
あわせを肩に引っかけて、適当に腰紐をくくっただけというよな恰好でいるらしく。膝こそ何とか覆われているが、その裾からは華奢な脛が長々と晒されているのもよく見えて。
“寒くはないのかな?”
 最初にそんな感慨が頭に浮かんだのも、こちらからは影としてしか見えないその姿、表情が見えない分、いかにも頼りなげな佇まいに見えたからに他ならず。どこか物憂げな風情のままに、立てた膝へとゆるく伸べた腕を引っかけて、柱に背を預けている身の何とも力なくもか弱そうに見えること。間近にあって口を開けば、傲岸そうな面差しで憎まれ口を吐くばかりの、何とも喰えない奴だのに。ああして黙って佇む様は、何とも言えず頼りなさげで。抗うことなくあっさりと、手折られそうなほどにも儚げで。後れ毛が風に躍るままにされている細い髪、線の細い横顔、繊細な指先に か細い四肢などなどなどが、玲瓏が過ぎて痛々しいほどの存在にさえ見えて来る。
“だからって、日頃の姿が“空威張り”かっていうと、そんなことは全然ないもんな。”
 あまりの落差をさして、こうなるとあれは詐欺ってもんじゃねぇのかね、なんてことを思ったその間合い。見やっていた影絵のその向こうへ、ざ…っと再びの潮騒のような響きが渡る。時折強い風が吹いているらしく、それが辺りを洗って、そして………。

  “あ…。”

 殺風景な庭の有り様は、視覚的にもすっかりと馴染んだ風景だったから。それが視野に収まっても、ただ漠然とした背景、ああもう明るいのだなという把握しかなかったものが。そんな視界の中を横殴りに降りしきる、吹雪のような何かがあったのへ、ぎょっとして思わず跳ね起きる。春先の気候はなかなかの“くせもの”で、寒の戻りに花冷え、すんなり穏やかに暖かくなってはくれない。少なくとも桜の花が終わるまでは、雪さえ戻るほどもの波乱に満ちていて当たり前だから。だからてっきり雪だと思った。だったら、なんて薄着でいるのかと、担ぎ上げてでも閨へ引っ張り戻そうと、蜥蜴の総帥が泡を食いつつ跳ね起きたほど。その視野の中、明るく切り抜かれた間口一面を塗り潰さんというほどもの勢いで、降りしきったは………。

  「…桜、か?」

 几帳を蹴倒しながら這い出して来たのへはさすがに気がついたか。こっちへと顔を向けた術師の目の前、無様にも板の間へ ずでんどうと つんのめって滑りこけ。それでも視線をすぐさま戻せば、雪の正体がやっと葉柱にも知れた。この時期にこうまで散るのは異様ながら、雪にも見えたそれは…潔くも舞い散る緋白の花びらの群れ。どこやらから風に乗り、この庭先までやって来たものであるらしく、
「まさか、お前が咒でもかけたのか?」
 起きぬけにどたばたした揚げ句、唐突に何を言い出すものやらと呆れてか。かすかに目を見張った彼だったものの。こちらが何を差してそんなことを言っているのかは判ったらしい。口は開かぬまま、かすかに苦笑ってかぶりを振った盟主であり。これは後になって判ったことだが、どこぞかの羽振りのいい御大尽だか物好きだかが、都の外れのあまりの寂れようを憂えての思いつき、金と人手を費やして数年前にわざわざ植えたらしき塚代わりの桜の並木が、此処のほん近所にあるのだそうで。植えたからってすぐにも根付くものでなし、何とか土地に馴染んでの数年後にあたる今年にやっと、まともに花をつけての結果の花吹雪だったそうなのだが…それはともかく。
“………?”
 もう十分に“いい大人”だってのに、何とも無様で判りやすい すっとんぱったんをやらかした葉柱を見て、なのに…指を差したり腹を抱えたりして嘲笑うでなく。無言のまま、ふいっとその視線を再び庭の方へと戻した蛭魔であったりし。それが…何とも不可解だと感じた葉柱で。
“いや、嘲笑って欲しいってんじゃねぇんだけどもよ。”
 こっちだってそのくらいは判ってますってば。
(苦笑) あまりに早朝だからだろうか? だが、起きてすぐには体の機能も気持ちもなかなか立ち上がりにくい、低血圧とかいう体質じゃあないのは既に承知。第一、それならそもそも こんな時間帯に起き出せまい。
“多少体調が悪いってのなら、逆に空元気を繰り出して誤魔化そうとする奴だしよ。”
 そして機嫌が悪いなら、もっと判りやすくも こちらへのお門違いな八つ当たりをしまくるに違いなく。…って、相変わらず一体どんな人性だという把握をされてるお館様だったりするのやら。あと数歩ほどという間合いを残したところから、自分を眺めやる葉柱の存在を、さして意識もしないまま。ほぼ無表情の白い横顔を、ぼんやりと風に晒しているままな術師の青年であり。まだ触れてもいないのに、けぶるように躍る後れ毛に擽られている真白な頬が、象牙のように冷たそうなのがありありと判る。簡単に羽織っただけだろう袷は、その襟ぐりが少しゆるく開いており、これも時折風に遊ばれては はたはたと遊ぶのが、まじろぎもしない彼以上に生き生きとした存在に見えたほどで。

  “…そういえば。”

 春先は、何となく不安定になる奴だったなと思い出す。それでなくとも微妙な時節で、覇気が失せたまま物思いに耽る人も少なくはない。長い冬を越した後の春先は、そこここに様々な精気が満ちる。木の芽時という呼称そのまま、芽吹きの生気は溌剌と力強く、そんな感触を人もまた生き物であるが故に感じるのか。その勢いに圧倒され、気弱になる人も少なくはない。山ほどもの“新しい始まり”の勢いに気圧
けおされる。考え過ぎて動き出せない自分が、ひどく取り残されているような気がしてしまい、ますますのこと歩み出せなくなる。
『相手には1年しか生きられぬ草や虫まで含まれておるのだ。そんな輩たちが正に一生をかけて萌え出している生気の強さぞ。たかだか人間ごとき、ぼんやりしていて そうそう簡単に敵うと思う方が驕慢というもの。』
 同居中の書生の坊やへそうと教えを授けたように、蛭魔自身もきっちり把握していたようだったが。とはいっても、理論は理論。そんな生気ごときに大人しく押されたままな、やわな人性ではあるまいて。
“何がどう転んでも、そんなタマじゃあありえねぇと思ってたんだが。”
 とはいえ昨年もそう言えば。妙に愚図って突っ張って、総帥殿も手を焼かされたことだしね。まさかとは思うがもしやして、彼の生まれ月や何やが関わって、この季節には微妙に気鬱になるような、そんな周期となるのやも?
“…ま、そんなもんはどうでもいいさ。”
 気を取り直すと身を起こして立ち上がり、すぐ傍らまで運んで、それから。いかにも寒そうな膝まわりへと、その手に掴んで来ていた自分の袷を掛けてやり。こちらもやはり、それは無防備にも吹きつけて来る風に晒していた上体は、長い腕でくるみ込み、その懐ろへと掻い込んでやる。
「………。」
 ついと上がった視線には少しばかり張りが足りない。そんな金茶の眸が見つめて来るのを、真っ直ぐ見つめ返しつつ、

  「寒そうだな、おい。」

 こうまで間近だからと低められた声は、なのにあんまり掠れず、やわらかに響いて心地よく。

  ――― すっかり冷え切ってるじゃねぇか。
       そうだな。
       気が済んだなら、閨へ戻らねぇか?
       ん………。

 白いお顔を覗き込み、尖って細い鼻梁へと自分の鼻の頭をこりこりとくっつければ。多少反応が薄かったものの、お節介めと煙たがって突っぱねるでなし。手慣れた動作で抱え上げる腕に安堵して、そのまま彼からも腕を伸ばすと、大人しく胸元へと収まってくれたので。どのくらいそうしていたやら、仄かに冷えた痩躯を愛しげに抱きしめて、まだ早いんだ、二度寝と洒落込もうやなんて、宝物をば あやしもって寝床までを戻ってゆく葉柱であり。そして、

  「………。」

 神からの罰からだってこの自分を護るのだろう、一途で律義な蜥蜴の総帥。そんな彼の頼もしき懐ろに入れられて。隆と張ったる筋骨も屈強な、堅い胸元に頬を寄せる振りに紛れらせ。こっそりと視線を投げた庭の明るみ、黎明の淡灰で塗り潰された空間の中。またの風にて泳いで来た花吹雪へと、どこか切なげにも物思う眼差しを向けた、白皙の陰陽師だったりするのである。





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  *ちょこっと意味深?なお館様でございまして。
   春先のアンニュイを、上手に描けていればいんですが…。